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フィリピン元「従軍慰安婦」団体 マラヤロラズ声明 [フィリピン元「慰安婦」]

正義はいまだ否定されている。

 レイプ、強制された売春、性奴隷、性暴力、これらすべてはほとんどの戦争にともなうものである。これは人々の風紀を乱し恐れさせることによって敵を打ち負かす戦争戦略の一部である。

 従軍慰安婦制度
 日本軍は、彼らの軍隊のための「従軍慰安婦制度」と呼ばれる制度をつくりあげることによって、新しい水準の戦争戦略をもたらした。1932年、最初の従軍慰安婦制度は中国満州(現在の東北地方)で作りあげられた。性的衝動が通常より極端化するので、自国の防衛において人々の生命を奪う危険があることを、軍隊として考慮した。したがって、従軍慰安婦制度の確立は、レイプ容認で社会が転覆するのを避け、安定した軍事占領するうえで適切で重要なかつ道理にかなったものとされた。
 非常に若い10歳から20歳の若い少女たちが、伝染する性病ではないことを確認され選ばれた。通常少女たちは、誘拐されてつれてこられている。一日に10人から30人もの兵士の相手をさせられ、通常週末にはもっと多くの相手をさせられた。軍医たちは形式的な診断しかしなかったし、妊娠は強制的にかつ乱暴に堕胎させられた。日本兵士への性的な奉仕で傷つけられまた回復不能な障害を負わされたが、医療は施されなかった。
 50万人以上のアジアの女性が日本帝国主義軍隊の強制された売春の犠牲者にされた。慰安婦たちは、兵站の一部となったし軍隊が別の地域や国々に移動するとき一緒に移動した。第二次世界大戦終了時、少なくとも30%または15万人の慰安婦たちが困苦を生き残った。多くの人たちは毒死や自殺、大量虐殺で死んだ。ほかの多くの人たちは社会に追い立てられて外国の地で生き延びた。
 そのような状況はフィリピンでも同じである。従軍慰安婦制度が確立していたにもかかわらず、1944年11月23日、パンパンガ州、カンダバ市マパニャケで起きたように、大量の強姦が日本軍国主義のテロ戦術の一部として遂行された。このことは歴史の年代記には記録されていない。

 マパニャケの女たちと赤い家
 この日1944年11月23日、日本帝国軍隊、第二戦車部隊はイワナカヨシナル指揮のもと占領され、マパニャケは燃え上がった。傷ついたか死んだ男たちは小学校校舎に閉じ込められ焼かれた。9歳から30歳の女たちは、マパニャケ村から2、3キロメートル離れたブラカン州アニアタムにある「赤い家」―日本軍部隊はここに駐屯していた―にまで略奪物を運ばされた。この「赤い家」でマパニャケの女たちは3日間にわたり繰り返しレイプされた。そこでは母たちと娘たちが同じ部屋で同時にレイプされた。
 60年後、パンパンガ州マパニャケからマラヤロラズとして組織された元従軍慰安婦や集団的レイプ犠牲者たちが、日本軍の残虐行為に対して公然と語りはじめた。
2004年8月8日、抗議の象徴である紫色のドレスをまとった約60名のマラヤロラズの女たちがフィリピン最高裁判所に集まり、彼女たちが第二次世界大戦中に日本軍兵士の手によって受けたレイプと苦痛は人類と人間性に対する犯罪であり、そのことを裁判所が宣言するように求めた。女たちはまた、フィリピン政府が日本政府に対し公式な謝罪を要求し残虐行為の補償を求める命令を出すように、フィリピン最高裁判所に要求した。
弁護士ハリー・ロケ、およびフィリピン大学における彼の学生たち、KPD、KAISAKA、および三多摩ピースサイクルの日本人活動家たちなどの助けによって、マラヤロラズは33ページの請願書を作成した。そのなかでフィリピン政府は、正義の国際法廷やさまざまな合法的フォーラムや法廷にさきだって、日本政府に対しマラヤロラズの主張を支持すべきであると述べている。請願書の主張によれば、日本政府と締結した1951年の平和協定によっては、フィリピン政府は何らこれに拘束されないと指摘している。

戦後60年、今なお正義は否定されている
マラヤロラズによる請願書が最高裁判所に提出されてから1年が過ぎているが、この問題の明確な前進はいまだない。
日本政府は、現在もなお戦争中の残虐行為への法的責任を拒否しているばかりではなく、犠牲にされた国々の女たちの要求に耳をかそうとしていない。三多摩ピースサイクルは、ほかの国々の元従軍慰安婦たちによる日本法廷への訴訟に対して、日本の裁判所が却下していることを伝えている。
第二次世界大戦の残虐行為の審理と立証のために任じられた国際法廷でさえも、アジアの元従軍慰安婦に関与した残虐行為の真実をすでに認めているし、日本政府が日本軍の性暴力による犠牲者たちの正義を重要でない問題として取り扱い続けていることも認めている。
マラヤロラズは、1995年に設立され170名のメンバーを数えていたが、多くの人たちが病気と高齢のために正義を回復する闘争の過程で亡くなり、今ではわずか70名のみが残されている。認められず医療に対し政府による支援もないにもかかわらず、従軍慰安婦のロラたちは、マパニャケの女たちのためにまた同様に日本軍によって性暴力を受けたほかの女たちのために、闘争を継続している。正義が報いられるまで戦争は決して終わっていない。


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コメント 2

ふーん

正義ねー
なぜ近年になってそういった行動を起こすかよーく自分のおつむで考えてみてください。どう考えても朝日とかあほな左翼の皆さんのすすめでしょ。
何でもかんでも正義って決め付けんのどうですかねー?ある意味左翼と右翼の共通点はそこかね。
by ふーん (2005-06-11 01:22) 

ぽんきち

言葉が出ませんね。日本のサヨクの人って日本政府に責任を取れって
言うけどだいたいご自身は圏外にいる事が多いよね。自分は「正義」の
側にいると勘違いしている。百歩譲って、日本に責任があったとしても
自分と自国民を考えたら、できる限り責任を減らしたいと思うのが人情
ですよね(日本国は賠償を既に終わらせている、つまり責任は取っている)。
なのに、戦争責任の事になったら鬼のようになって自国を追及する。自分も
当事者ですから、責任を感じている人間として、あなたのできる事をされたら
どうでしょ?人生を投げ出して賠償してあげて下さい。私なんかは基本的に
戦時中というのは多かれ少なかれそう言うもんだと思うし、責任もどっちも
どっでで一方的なものではないという主義なんで、賛同致しかねます。
賠償必要なし論者ですから何もしないし、余裕もないから何もできません
しね。
by ぽんきち (2005-06-11 12:55) 

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