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映画『時の行路』を観る [現代日本の世相]

 映画『時の行路』を観る 

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<映画『時の行路』のチラシ>

1) コロナ禍の今を重ねて観る!

 2008-09世界金融恐慌では、世界的な金融収縮から消費市場も収縮し、過剰生産恐慌にまで拡大した。映画が描く日本の自動車会社で起きた「非正規切り」は、生産を縮小するため生産子会社の派遣労働者や季節工の大量解雇である。犠牲を押しつけられたのは派遣や季節工だ。

 コロナ禍の今、外出自粛で飲食業、ホテル・観光業、人相手のサービス業で多くの失業者や休業による収入減の人たちが大量に出ている。今も犠牲は、不安定雇用の派遣や契約社員、家族経営の小経営に押しつけられる。資本主義は10年余ごとに世界的な恐慌が襲い経済が収縮するが、その犠牲を転嫁する先はいつも決まっている。危機になれば弱者に犠牲が集中し、格差は拡大する。同じことが繰り返されている。そのような日本社会のシステムができ上がっている。

2)「非正規切り」の描写が滑稽なほどリアルだ!

 主人公、五味洋介(石黒賢)は派遣社員だが旋盤工として4年も働いているベテランであり、解雇される前には正社員の技術指導も頼まれるほどだ。洋介が「派遣社員が正社員を指導するのはおかしくないかぃ?」と問いかけると、職制は「派遣も正社員もない、同じ社員じゃないか!」と強く答える場面などは、後に起きる事件から考えれば偽善的言い回しと分かるが、実際にはあの通りなのだ。

 「経営危機」を理由に派遣社員が解雇されるとなった時、人材派遣会社は「次の仕事を紹介するから、退職届にサインしてくれ!」と強引に洋介らを説得し退職させるが、次の仕事などない。追及すると「不況だから紹介できる他の仕事などあるはずはなじゃないか!」と居直る。その場面に併せて、人材派遣会社の社長が「派遣の解雇を実行するのが自分たちの仕事です」と言わんばかりにミカド自動車総務課長にもみ手でペコペコして姿も重ねる。自動車会社―派遣会社―派遣労働者の、「合法的だが偽善的な関係」、「現代における奴隷制度」を鮮やかに浮かび上がらせる。まるで絵にかいたような場面だが、こんなことは実際には広く一般的に起きているのであり、これこそリアルな描写なのだ。 

 派遣社員とは不況の際に切り捨てる要員であることは、誰が何と言おうが決して否定できない日本社会の「真実」であることを映画は描き出してる。
 
3)だれにでも起きることだ!

 解雇された労働者が労働組合をつくって闘うことは、解雇された労働者たちにとってそれほど簡単ではない。誰にでも起きることであるにもかかわらず、裁判まで闘うことは誰にでもできはしない。洋介の家族のなかでも負担の大きさから「気持ちのずれ」が生じる。争議に駆けずり回る洋介は、八戸の家族に今まで通り仕送りができなくなる。息子は大学進学をあきらめ、漁師になり祖父と一緒に漁に出る。そういう状況でもありながら、洋介には不当な解雇を告発し闘う以外に方法がない。それぞれに抱える事情や気持ちの揺れも含めて、描き出しているところは映画のいいところだろうと思う。

 争議に奔走する洋介が、闘争のさなかに死んだ妻・夏美の八戸の実家を訪ねた時、義父(綿引夏彦)が「夏美もおめえも運がわりぃな」と呟いて、洋介を家に上げる場面がある。確かに運が悪いには違いない、だがそれは誰にでも起こりうるということだ、映画はそう主張している。

 洋介たちは裁判を起こし不当解雇を訴える。ミカド自動車は利益は減少してはいたものの黒字であり他社の比べ打撃は小さく解雇理由とはならない。ミカド自動車の内部資料を元に、解雇要件を満たさない、不当解雇と主張するも、裁判所はこれを認めない。地裁、高裁で敗訴、最高裁でも控訴棄却となり敗訴が確定する。

 実際のところ、このような敗北は現代日本社会ではよくあることだ。裁判まで起こして解雇不当を訴えるのは大変なことであり、当事者も支援者も労力を注ぎ込まなければならない。しかし裁判にたどり着いても、裁判所は決して労働者の味方ではない。そんな現実までリアルに描き出す。個人的な勝利を描いてハッピーエンドにしなかった、これも原作や脚本家、監督の主張なのだろうと思う。

 八戸から東京での争議に夜行バスで戻る洋介の横顔をアップで止めて映画は終わる。洋介にはまだ困難な闘いと生活が続くのだろう、それを暗示する。観た者は、八戸の五味洋介一家の不幸にとどまらない日本社会の多くの働く者の不幸であるこのリアルな現実を思い知り、暗然たる気持ちとなって、あるいは重い荷を背負い込んだ気持ちになって、映画館を後にするのだ。(文責:児玉 繁信)






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格差拡大は、安倍政権の「功績」 [現代日本の世相]

格差拡大は、安倍政権の「功績」
貧困化と格差を止めよう!


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<8月28日、安倍首相は辞任を表明。写真は会見する安倍首相。(2020年 ロイター)>
              
1)安倍が退陣した

 安倍首相が退陣した。首相連続在任日数を更新したので、目標を見失ったのかもしれない。
 この半年間の安倍首相の対応には、危機に際して自分の頭で考え、自分の言葉で国民に訴えるメッセージが欠如していることが、とくに鮮明になった。5月にコロナ感染症が一旦終息したかに見えたときに、安倍は「ジャパン・モデル」として自慢して見せたが、7月に第2波が起きてメンツはまるつぶれとなり、記者会見を開かなくなった。退陣は、政権を「放り出した」というのがより正確かもしれない。そもそも「リーダーとしての見識」がまったくない口先だけの政治家・安倍は、自分ではコロナ危機を克服できないことを思い知り、持病が悪化したかのように見える。コロナ危機は各国政府と政治家の「優劣」を暴き出したようだ。
 退陣の真相はどうでもいいが、安倍が退くのはいいことだ。

 安倍政権にはコロナ対策の司令塔が存在せず機能してもおらず、「無為、無策」のままだ。施策といえば「マスク2枚と10万円の給付金」だけだった。あとは国民にひたすら自粛を要請する。
 安倍政権はPCR検査数を絞り、非感染者と感染者を分けないで、全員自粛、3密を避ける、マスクせよと国民に要求するだけで、いつまでたっても終息しない。第3波、第4波・・・・がいずれ繰り返される。これでは経済再開ができない。「雇用調整助成金」や「Go toトラベル」(1兆7000億円)など、費用ばかりかけるものの効果のない、先の見えない対策しかできない。

 「検査・追跡・隔離」を実施することは感染症対策の基本だ。政府・厚生労働省は、PCR検査を大規模に実施するつもりがない。PCR検査をいかに大規模に、素早く実施するか方針と計画を語り実行する専門家は、少なくとも厚生労働省、専門家会議、分科会には一人もいない。日本のメディアも同様で、コロナ禍を通じ日本には「科学ジャーナリズム」が存在しないことも判明した。安倍政権の太鼓持ちとなるようなジャーナリズムが、「科学ジャーナリズム」であることはない。

 東京都医師会の尾崎会長は、拡充しない検査体制に業を煮やし、都内のPCRセンター設置を主導し、医師会として「現行法の中でできる対策を考える、国に頼ることは、もう諦める」(8月28日)とまで発言するに至っている。

 逆に、安倍政権の無策を指摘しPCR検査の拡大を訴える専門家は、おそらく安倍政権の周辺から人身攻撃される有様で、そんなことまでやるのかと思うくらいだ。確かにこれは安倍政権のこれまでの政治手法そのものだなと思い至るが、あきれるばかりだ。

 ただ、幸運なことに日本では欧米に比べ死者の数が少ない。おそらく過去に黒潮に乗ってやってきたであろうおたふくかぜ、SARSやMARSなどのウィルスに対する免疫が形成されていたため、死者が少ないのであろうと推測されている。いずれ理由は解明されるだろう。日本の指導者にとってはきわめて幸運なのだが、これを生かすことさえできなかった。人口10万人当たりの感染者数でいうと、日本は東アジアでフィリピンに次いで2番目に多いのだ。

2)コロナ後、日本はどうなるのか?

 日本経済は20年4-6月▲27.8%減(年率)となり、530兆円あったGDPは485兆円にまで減少し、2012年以前の水準に戻っている。米、欧州、インド、ブラジル等も同様で、コロナ感染症を抑えきれず経済活動は後退を余儀なくされている。

 そのなかで注目されるのは中国、韓国、台湾、シンガポール、ニュージーランドなどだ。徹底した大規模なPCR検査を「いつでもどこでも誰でも」を実施する態勢を構築し、感染者と非感染者を隔離し治療し、感染者を早期に無くし、国境での人の行き来は制限しているものの、経済活動を再開している。中国経済は20年4-6月期はすでにプラス成長に転じている。これこそ「with Corona」と呼ぶべきだ。日本のメディアはこういった諸国のコロナ対策「成功例」を少しも報じない。報じれば安倍政権への批判・当てつけになるからだろう。

 コロナ後、日本はどうなるのだろうか?
 コロナ危機への緊急経済対策として、各国中央銀行(FRB、欧州中央銀行、日銀など)は異次元の規模の金融緩和し、政府は財政出動を行っている。その結果、実体経済は落ち込んでいるのに金融経済は肥大化し、各国政府は財政赤字を増大させている。金融危機を回避するためとはいえ、実際には資産を持つ富裕層・金融資本の救済である。実体経済が落ち込んでいるのに株価や金融資産は逆に高騰している。コロナ禍で弱者は淘汰され、富裕層は救済される。そのため、コロナ後に生まれる世界は一層の「格差と貧困」となることは容易に推測される。

 1990年ころまでは「1億総中流」の日本社会といわれ、今と比べれば「厚みにある中間層」が形成されていた。この30年間、日本経済はほとんど成長せず、そのなかで雇用者数でいうと製造業労働者が減少し、より賃金の低いサービス業労働者、福祉・介護職がふえた。同時に、正社員が減少し,派遣社員・契約社員、パート・アルバイト労働者が増え、雇用条件と賃金は悪化した。そして安倍政権はとくに、旧態依然たる低賃金単純労働として女性労働者や高齢者の活用し、さらには外国人労働者(技能実習生)を増大させる政策を採ってきた。その結果、日本のサービス業の生産性は先進国のなかも断トツで低く、低賃金で旧態依然の企業が存続している現状をつくり出した。2019年には年収200万円未満の労働者は1,927万人(全労働者5,995万人の32%に当たる)にまでになっている。日本社会で貧困者が増えたのは歴然たる事実だ。かつての「一億総中流」から「格差と貧困の社会」となった。日本における格差拡大は、安倍政権の立派な「功績」なのである。コロナ禍はこの格差をさらに拡大しつつある。

 その「格差と貧困の社会」では人々のあいだで不満と不安が生じるのだが、人為的に敵をつくり、中国や韓国を非難し排外主義を煽り、人々を分断して惑わし支配する政治を行って「安定政権」を維持したのが、安倍政権の独特な特徴ある「政治手法」なのだ。
 人々を分断させ対立させる安倍政治はまっぴらだ。

3)貧困化と格差を止めよう!

 日本社会には、この先、大変革が必要だ。貧困化と格差拡大を止めなくてはならない。
 安倍政権のあとの政権には、安倍の政治手法を継承させてはならない。どのようにしたら格差社会を解消できるか、貧困層を少なくさせるか、教育と福祉を充実した社会を実現できるかが大きな課題となる。私たちにとって大切なめざすべき目標となる。

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