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映画『Minamata』を観る [映画・演劇の感想]

映画『Minamata』を観る  

s-『Minamata』 アイリーン美緒子(バージュ美波)とW・ユージン・スミス(ジョニー・デップ).jpg
<『Minamata』アイリーン美緒子(バージュ美波)とW・ユージン・スミス(ジョニー・デップ)>


1)映画『Minamata』とは?

 映画『Minamata』(監督アンドリュー・レビタス)は、チッソによる産業汚染が日本の漁村・水俣とそこに住む人々にいかに悲惨な状態をもたらしたかを写真で告発するユージーン・スミスの戦いを描いている。

 1951年から1968年まで、チッソは九州・水俣湾に極めて有毒なメチル水銀を含む何千トンもの未処理廃水を捨て、地域の魚や海洋生物を汚染した。常に水俣湾の魚を食べてきた地元住民は、1950年代、猫の奇妙な行動と病気に気づいた。そのあと1956年、最初の人間の症例が現れた。以降、チッソが健康被害に対するいかなる責任も否定するなか、子供を含め何千人もの住民が、酷い水銀中毒による筋力低下や、身体障害、精神障害、昏睡、そして死に苦しんだ。現在、2,283人の人々が公式に患者として認知され、75,000人以上の人々が水俣水銀中毒であると認定されている。ただし、いまなお認定を求めて1,700件以上の訴訟が進行中だ。

 映画『Minamata』は、ユージン・スミスとアイリーン美緒子の共著『Minamata』をベースに創られている。操業し続けるために、被害者の被害と苦難のいかなる暴露もさせまいとするチッソの冷酷な行為に対する写真家スミスの批判と行動が描かれている。ただそれは、スミスとアイリーンの内面を通じた描写のスタイルをとっており、登場する水俣の日本人の描写は何かしら「外面的な」観察に終始し内面までは踏み込んで描かれてはおらず、観察者の描いた「Minamata」というところはある。

2)どういう映画か?

 映画は、スミスが水俣に行く一年前から始まる。前妻と子供たちから離れマンハッタンの屋根裏で半ば隠とん生活をするスミスは、行き詰まりのなかにいた。第二次世界大戦での悲惨な経験と残った重い傷は、心的ストレスとなって彼を苦しめ、酒におぼれさせていた。アイリーン美緒子は、そんなスミスに「Minamata」被害の報道を頼む。「現地では反対運動があるが、被害者に対する世界的注目が必要だ」と訴える。

 呼応したスミスは、ライフ誌編集者ロバート・ヘイズの協力を得て水俣に入る。到着した彼は、チッソとの何年もの戦いで被害者たちは生活が脅かされ疲れ切っていることを知る。水俣での暮らしに入っていったスミスは村人の信頼を得、被害者とともに被害の実態、証拠を写真に残そうとする。

 スミス、アイリーンと活動家のキヨシは変装してチッソ社付属病院に潜入し、チッソが隠している患者を写真に撮ったりもする。

 チッソ社長の野島ジュンイチ(國村隼)はスミスの存在に気づき、賄賂や肉体的暴力を含め、このカメラマンを抱き込もうとする。國村隼は、あくどく振る舞う野島社長を鮮やかに演じている。

 スミスとアイリーンは、チッソと戦う決意の固い山崎ミツオ(真田広之)をリーダーとする少数の被害者集団と行動をともにする。地域にはチッソで働く関係者もいるし、抗議行動を抑えつけるためチッソに雇われた警備員もいる。水俣病患者家族の一人によって住居に放火され、スミスは撮影フィルムを奪われるが、のちにこっそり彼の手に戻す場面もある。

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<「水俣でのユージンスミスとアイリーン美緒子」(写真:石川武志)>

3)「入浴する智子と母」

 スミスは被害者の一人である上村智子の両親の信頼を得て、「入浴する智子と母」の撮影を許される。水俣病で苦しめられひどく硬直した裸の智子さんに注ぐ母・良子さんの眼差しが限りなく優しい。

 この並外れて感動的な写真は、「ライフ」誌に発表され、アメリカや世界中の読者にチッソ水銀中毒の恐怖を伝えた。後に多くの人々に称賛されるスミスの最高作の一つとなった。

 どうしてこの写真が美しく、私たちは感動するのか? それは、不条理の暴力の犠牲となった人間に対してもう一人の人間が注ぐ、注ぎ得る、無限の愛をそこに見るからだ。写真からは確固たるヒューマニズムが溢れてくる。スミスの提示したヒューマニズムは、われわれの現実世界を支配する「不条理」に対する敢然とした怒りや批判と一体であることも教えてくれる。

 ケーテ・コルビッツの版画『母子像』を思い起こす。あるいは『ピエタ像』を。

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<『入浴する智子と母』(1972年、ユージン・スミス>

 補足するが、著作権者であるアイリーン・美緒子・スミスは、智子さんの両親である上村夫妻との話し合いをもとに、2001年から写真『入浴する智子と母』を原則非公開としている。その事情はアイリーン・スミスによる2008年の声明に詳しく書かれている。http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_jp/aboutus/interview.html

 映画『Minamata』は、熱のこもった徹底的に現実的な作品で、チッソの犯罪と被害者の苦悩を伝えようとするスミスの意思が、彼の写真にどのように命を与えたかを描き出した。真実を暴露するスミスの努力は、他の人々を勇気づけ社会を良い方向に変えることができるという熱烈な信念とともにあるように思う。それはスミスにとってはカメラマンとしての創造精神の回復でもあったようだ。

4)水俣は水俣だけではない

 九州・水俣の漁業社会で起きた大惨事は一回限りの出来事ではなかった。インドネシアでは同様の水銀汚染が繰り返された。あるいは、チェルノブイリや福島の放射能汚染に苦しむ人々、アフリカや中南米での有毒鉱山廃棄物による中毒、ミシガン州のフリント飲料水鉛汚染やの被害者たちの顔が、重なって浮かびあがってくると映画は主張する。われわれの社会は、企業利益や国策により、人々の健康や環境の破壊を繰り返すという欠陥を持っているのだ。

5)映画『Minamata』は上映拒否と戦っている

 2019年映画は完成したが、巨大映画会社MGMは、主演ジョニー・ディップに対する前妻からの暴力の訴え(告訴されていないし、捜査されてはいない)を理由に、2020年初めにこの映画を葬ることに決め、全米では上映されていない。企業のコプライアンスは企業利益をまもるために存在するようだ。監督レビタスは、映画を「葬る」措置を取ったMGMに抗議の書簡を送り、MGM経営者に、上村夫妻や他の水俣被害者と話し「なぜ一人の俳優の私生活が、彼らの亡くなった子供や兄弟や親や、産業公害と企業の不正行為のあらゆる被害者より一層重要と思うのか説明する」よう求めている。

 水俣病の被害が暴露されチッソへの社会的な批判が高まった後、被害者・山崎ミツオ(真田広之)がチッソとの交渉時にテーブル上に座り込んで、チッソの野島社長(國村隼)と対峙する場面がある。自信いっぱいだった野島が、戸惑いつつ謝罪する、その表情が印象的だ。現在においてはチッソの企業犯罪は誰の目にも明らかになっている。MGM経営者のとっている態度はチッソ社長と同質なものがあるのではないだろうか?

 先日(10月7日)、友人たちが、島根原発再稼働の中止と上関原発建設計画の白紙撤回を求め、中国電力を訪れた。その際に、応対した中国電力の担当者たちは、「原発は国の政策で進めている」と平然と述べ、企業利益を前にして環境や人類の未来に対する危機意識が欠如した態度を取ったと、教えてくれた。それを聞いた時私は、映画で描かれたチッソの社長・野島の姿を重ねて思い浮かべたのである。(2021年11月6日記)

11月12日まで、尾道シネマで上映中







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