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桐野夏生 『日没』を読む [読んだ本の感想]

 桐野夏生 『日没』を読む 
2020年9月29日発行、岩波書店


桐野夏生『日没』.jpg
<桐野夏生『日没』>

 この小説は、2017年に、雑誌『世界』に連載されていて、その頃一部を読んだことがある。単行本で、昨秋出版された。

1)桐野夏生 『日没』とは?

 作家である主人公マッツ夢井は、ある日、「総務省・文化文芸倫理向上委員会」(以下、ブンリン)から「召喚状」が届き、出頭するように指示された。疑問に思いながらも出かけると、海沿いの療養所へ連れていかれる。「作品がエロ小説ばかりで傾向がよくないから研修して更生してもらう」と言い渡される。療養所とは名ばかりで、実質は収容所であった。逃げ出せないし、収容に抗議すると「減点」が加算され収容期間が延びる。反抗的な態度をとれば、「減点」が加算されるだけでなく、拘束衣を着けられ、地下の部屋に閉じ込められ、薬漬けにされる。療養所は軍隊的な組織であり、所長-医師-職員-患者という明確なヒエラルキーがあり、患者は最も身分が低い。

 ほかにも患者はいるが、話したり交流することはできない。スマホは通じない、外部とは遮断される。スマホがなければ孤立してしまうことを思い知らされる。何人かの患者は自殺しており、療養所は自殺を推奨しているかのようである。

2)小説のテーマ

 小説は、「表現の自由」が奪われ、違反者が海崖にある療養所という名の収容所で更生を強要される近未来の日本社会を描き、警鐘を鳴らしているようである。
 同時に、現代人の不安を描いている。人と人とのリアルな関係やつながりが希薄になり、ネット上の関係に置き換えられている現代人の孤立や不安を描き出そうとしている。この小説のテーマであろう。

 作者による上記の試みは、極めて興味深く、かつ重要だと思う。
 小説で描かれている世界は、一見、実際にはありそうにない設定に見えるが、この小説を評価すべきかどうかの基準は、作者の設定の是非というより、描き出された内容が、現代日本人の孤独感、不安を、リアルに描き出しているかにある。

3)リアリティがあるか?

 作者の描出した世界に、リアリティがあるのかというところが評価すべき判断基準となる。その基準のもと、次の二つの点から、考えてみた。

3)-1:一つは、現代日本人、日本社会の描写として、リアリティがあるのかというところだ。

 登場人物は孤立している。主人公のマッツは、希薄な家族関係しか持っていない。母は介護施設におり、弟とはたまに電話するくらいで、主人公の苦悩を共有したり相談する関係にはない。

 編集者との関係も希薄だ。「ブンリン」からの呼び出しについて訊ねようと担当の編集者に電話してみたが、休日だったこともあって面倒くさそうな対応が電話でもわかったので、それっきりにした。

 仲間の作家である成田麟一にも聞いてみたが、そんなの無視しておけばいいと言われ、本気で対応してくれなかった。

 主人公は、すでに「希薄な」人間関係しか持っていない。でも、これって、現代日本人にとってむしろ一般的ではないか。最近の日本社会の姿そのものである。

 現代社会の人間関係は、ネットでのつながりで世界中のより多くの人と関係を持ち情報を交換できるようにはなったが、一方でこれまでの家族や地域、市民団体などのリアルな関係から一部が置き換えられており、世界は広がったようなのに孤立・不安が広がるという複雑で矛盾した過程を辿っている。ネットでの関係は希薄であり、ネット中傷やフェイクニュースによって、一挙に孤立しかねない。 

 そのようなところはよく表現されている。
 作者・桐野夏生はなかなかの書き手であって、描写にしてもスリルのある展開にしても、読者をひきつける。その力量はたいしたものだ。

 療養所内の描写は興味深い。周りの人物はすべて信用できないなかでの主人公の孤立した奮闘が主に描かれる。ただ、療養所内の疑心暗鬼、不信や裏切りへと集束してしまうのは気になるところだ。

 療養所内の散歩道で会話を交わし唯一信頼を寄せていた患者A45は、のちに療養所からの逃亡を助けた元作家仲間の成田麟一から、ブンリンの職員で「草」だと知らされる。

 療養所内の職員である「おち」と「三上春」、成田麟一が逃亡を手助けしてくれるが、逃亡させるためではなく、どうも自殺させるためだったことが最後にわかる。療養所所長や医師に服従しないまま自殺し、プライドを保つのを助けたらしい。彼らからも最終的には裏切られたことになる。療養所では、被収容者の自殺を推奨しているということもある。

 叙述はおもしろくて読ませるのだが、作者の興味が療養所内の「誰も信用できない関係の描写」に転化してしまったようで、現代日本人の孤独感や不安の描出というテーマから少し離れてしまう。

 主人公が逃亡の途中、成田麟一から自殺を強要されるところで、突然、小説はプツンと終わる。袋小路に入り、突然終わった印象を強く持った。この点は不満に思う。

3)-2:リアリティの二つ目は、療養所の実情の描写にある。

 桐野夏生の描いている療養所は、日本の精神病院の実情とよく似ている。
 日本の精神医療は欧米より遅れており、例えば、拘束衣の着用、幽閉・独房隔離、抗うつ薬などでおとなしくさせることなどが、今でも残っている。また、院長-医師-看護師-患者の関係には、軍隊のような確固たるヒエラルキーが残存しており、患者は最も身分が低い。

 また日本の精神病院では、他の病院に比べ、入院患者数に対し医師数は3分の1、看護師数は3分の2でいいとされ、入院患者を多く長期に抱え、「空きベッド」を出さないようにすれば儲かるように制度設計されている。そのことをとらえ、かつて武見太郎・元医師会会長が、「精神医療は牧畜業者だ」(1970年)と呼んだことがある。
 おそらく桐野夏生は、こういった実情も取材して、描写のうちに取り入れているのだろう。 
 企業社会のなかでふるい落とされ、格差社会の底辺に追い込まれ、一方で孤立化が進む現代日本社会では、うつ病、自律神経失調症となる人は増えており、療養所に隔離し隠すのは、近未来というより現代日本社会の一つの特質でもある。

 こんな問題も示唆しているのではないかと、勝手に受け取った。

4)問題を提起している小説

 この小説は、文芸書の割によく売れていること、図書館での貸出予約待ちの人が多いことから、比較的読まれているらしい。現代日本人の実感と合うところもあるのかと思う。上記の通り、一部に不満はあるが、問題を提起している小説である。一読を薦める。




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