私はMOK、 アンバ・バーラの新スタッフ [フィリピン労働運動]
私はMOK、 アンバ・バーラの新スタッフ
わたしの心は若さに満ちています!
私は大学を終えたいと思いましたが、両親に学費を支払い続ける余裕はありませんでした。私は7人兄弟の長男です。19歳の時、私は荷物を詰め込み、ヌエヴァ・エシハ州(中央ルソンの一部)からバタアン州マリヴェレスまで来ました。私のおばさんの一人がそこにいたのです。
そして私はデスクトップバッグ・フィリピン社で働き始めました。田舎に住む両親を助けるために、ただ働きました。会社に残業が必要な時、仕事をしたいと申し出ました。カバンの縫製が私の仕事です。日々の日課は、工場と家の往復でした。私は新世紀の若者ですが、家にいて家事をするのも大好きです。
友人である義理の兄弟から、あるミーティングに誘われた時、私の日課と人生は変わりました。どこだったか忘れましたが、友人ジェシーと一緒に市場の近くでのミーティングに出席しました。
私たちが到着したとき、すでにたくさんの労働者がオフィス・アンバにいました。会議を主宰する女性は自身を "ミライ"と紹介し、事務所の事務局長だというのです。会議の議題は、「労働者の権利について」でした。興味があったので、熱心に聴きました。
それ以来、私はアンバ・バーラのオフィスを訪れ始めました。また、アンバ・バーラのスタッフの何人かが私の寄宿舎を訪ねてきました。
私たちが組合代表選挙(Certification Election)のための労働組合の準備組織、「ディスクトップバッグ従業員協会(以下:DEA)」を設立したとき、私は22歳でした。それが最初の経験でした。私はDEAの書記に選出されました。組合の設立と組織化は簡単なことではありません。労働組合を望んでいない会社によって、リーダーと活動的な組合員の計71人が解雇されたのです。
組合役員の大半は解雇されたため、組合代表選挙の準備に際し、現役役員は私一人になりました。組合代表選挙で過半数の賛成票を獲得できるように最善を尽くしましたが、労働者は依然として経営陣の宣伝を恐れていました。組合が組合代表選挙で勝利すれば、会社は工場を閉鎖するという宣伝を信じたのです。
2016年に組合代表選挙に敗れた後、デスクトップ社は私を解雇するために全力を尽くしました。そしてついに昨年2018年6月に、会社は根拠のない、ナンセンスな事件をでっちあげ、私を解雇しました。
違法解雇であるとして、会社に対して訴訟を起こしました。会社は私に、「訴訟を放棄して静かな生活を送るのであれば大きな金額の支払う」と申し出ました。私は断りました。なぜなら、私はなお、デスクトップ社での労働組合の組織化を追求しており、そのうえで現職復帰したいからです。
それ以来、私はWPLとアンバ・バーラが行う様々な労働問題トレーニングと労働法セミナーを受けました。そして会社の寄宿舎からアンバ・バーラ事務所に引っ越しました。
私は25歳の自分にわくわくしています。そして今アンバ・バーラのスタッフになりました。
私はエルピディオ・アヴェラノーサです、新世紀の若者の世代です。私は、労働の成果を労働者自身が得るために、また労働者の奴隷的状況を変革するために、労働者を組織していくことに邁進するつもりです。
私はアンバ・バーラの新しいスタッフです、あなたがたは私をMOKと呼んでください。他のスタッフや友人が私と呼ぶように。
私は新世代の若者として、労働者の権利のため闘います!
(※「組合代表選挙」とは?:
フィリピンでは、労働組合準備組織が労働者の署名とともに、労働雇用省に「組合代表選挙申請」します。受理されたら、労働者―経営者―労働雇用省の3者で「組合代表選挙」実施の協議が行われます。選挙で労働者の過半数の支持を得れば、正式な労働組合と認められ、初めて経営者と団体交渉ができます。交渉で合意すれば労働条件などを定めた「労働協約CBA」を締結できます。フィリピンの労働組合の組織率は約10%、そのうち「労働協約」を締結している労働組合の労働者数は、全労働者は1%と言われています。
経営者側は、労働組合を結成させないために、組合代表選挙に至るまでの過程で、労働組合の準備やリーダーを排除したりして、労働組合結成の動きを弾圧してくるケースが多く繰り返されてきました。)
わたしの心は若さに満ちています!
私は大学を終えたいと思いましたが、両親に学費を支払い続ける余裕はありませんでした。私は7人兄弟の長男です。19歳の時、私は荷物を詰め込み、ヌエヴァ・エシハ州(中央ルソンの一部)からバタアン州マリヴェレスまで来ました。私のおばさんの一人がそこにいたのです。
そして私はデスクトップバッグ・フィリピン社で働き始めました。田舎に住む両親を助けるために、ただ働きました。会社に残業が必要な時、仕事をしたいと申し出ました。カバンの縫製が私の仕事です。日々の日課は、工場と家の往復でした。私は新世紀の若者ですが、家にいて家事をするのも大好きです。
友人である義理の兄弟から、あるミーティングに誘われた時、私の日課と人生は変わりました。どこだったか忘れましたが、友人ジェシーと一緒に市場の近くでのミーティングに出席しました。
私たちが到着したとき、すでにたくさんの労働者がオフィス・アンバにいました。会議を主宰する女性は自身を "ミライ"と紹介し、事務所の事務局長だというのです。会議の議題は、「労働者の権利について」でした。興味があったので、熱心に聴きました。
それ以来、私はアンバ・バーラのオフィスを訪れ始めました。また、アンバ・バーラのスタッフの何人かが私の寄宿舎を訪ねてきました。
私たちが組合代表選挙(Certification Election)のための労働組合の準備組織、「ディスクトップバッグ従業員協会(以下:DEA)」を設立したとき、私は22歳でした。それが最初の経験でした。私はDEAの書記に選出されました。組合の設立と組織化は簡単なことではありません。労働組合を望んでいない会社によって、リーダーと活動的な組合員の計71人が解雇されたのです。
組合役員の大半は解雇されたため、組合代表選挙の準備に際し、現役役員は私一人になりました。組合代表選挙で過半数の賛成票を獲得できるように最善を尽くしましたが、労働者は依然として経営陣の宣伝を恐れていました。組合が組合代表選挙で勝利すれば、会社は工場を閉鎖するという宣伝を信じたのです。
2016年に組合代表選挙に敗れた後、デスクトップ社は私を解雇するために全力を尽くしました。そしてついに昨年2018年6月に、会社は根拠のない、ナンセンスな事件をでっちあげ、私を解雇しました。
違法解雇であるとして、会社に対して訴訟を起こしました。会社は私に、「訴訟を放棄して静かな生活を送るのであれば大きな金額の支払う」と申し出ました。私は断りました。なぜなら、私はなお、デスクトップ社での労働組合の組織化を追求しており、そのうえで現職復帰したいからです。
それ以来、私はWPLとアンバ・バーラが行う様々な労働問題トレーニングと労働法セミナーを受けました。そして会社の寄宿舎からアンバ・バーラ事務所に引っ越しました。
私は25歳の自分にわくわくしています。そして今アンバ・バーラのスタッフになりました。
私はエルピディオ・アヴェラノーサです、新世紀の若者の世代です。私は、労働の成果を労働者自身が得るために、また労働者の奴隷的状況を変革するために、労働者を組織していくことに邁進するつもりです。
私はアンバ・バーラの新しいスタッフです、あなたがたは私をMOKと呼んでください。他のスタッフや友人が私と呼ぶように。
私は新世代の若者として、労働者の権利のため闘います!
(※「組合代表選挙」とは?:
フィリピンでは、労働組合準備組織が労働者の署名とともに、労働雇用省に「組合代表選挙申請」します。受理されたら、労働者―経営者―労働雇用省の3者で「組合代表選挙」実施の協議が行われます。選挙で労働者の過半数の支持を得れば、正式な労働組合と認められ、初めて経営者と団体交渉ができます。交渉で合意すれば労働条件などを定めた「労働協約CBA」を締結できます。フィリピンの労働組合の組織率は約10%、そのうち「労働協約」を締結している労働組合の労働者数は、全労働者は1%と言われています。
経営者側は、労働組合を結成させないために、組合代表選挙に至るまでの過程で、労働組合の準備やリーダーを排除したりして、労働組合結成の動きを弾圧してくるケースが多く繰り返されてきました。)
2019-02-06 01:02
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