ピースサイクル、フィリピンの戦時性暴力 被害者3団体を訪問 [フィリピン元「慰安婦」]
ピースサイクル、フィリピンの戦時性暴力 被害者3団体を訪問
フィリピンには戦時性暴力被害者団体が、リラ・ピリピーナ、マラヤロラズ、ロラズカンパニェーラの3団体あります。アジア女性基金をきっかけにして別れてしまった経緯があります。
フィリピン・ピースサイクルは、被害者としては同じなので、これまで3団体とも交流してきました。ピースサイクルの日程は限られており時間がなく、十分なきちんとした交流ができませんでしたが、中央ルソン、パンパンガ州とマニラ地域をまわり、3団体とも訪問し、近況報告しあいました。
アラヤットのロラズカンパニェーラ
<ロラズカンパニェーラ アラヤット支部の皆さんと>
3月6日午前中、パンパンガ州アラヤットの町に、ロラズカンパニェーラ・アラヤット支部を訪れました。事前に手配いただいていて、アラヤット町シニアシチズンセンターに多くの被害者が集まっておられました。被害者だけでなく、町のシニアシチズンの代表も参加されていました。
アラヤット町は、アラヤット山のふもとにあります。アラヤット山には、第2次世界大戦中、抗日ゲリラの一つであるフクバラハップの根拠地がありました。パンパンガ平原は島国フィリピンでは珍しく広い平原であり、穀倉地帯です。その平原のどこからもコニーデ(富士山)形状の美しいアラヤット山を見つけることができます。
この町の年配の方のなかには、フクバラハップのメンバーだった方がいますし、この日も参加されておりました。被害者であるカンパニェーラのメンバーのなかにも、メンバーだった人がいます。
ピースサイクルがアラヤットのロラを訪問したことを、たいそう喜んでくださいました。シニアシチズンの代表は、今後日本の支援団体とも連携をとり、シニアシチズンとしてロラの支援をしたいと言われました。
<アラヤットからマパニケに移動途中にみたアラヤット山>
マパニケのマラヤロラズ
3月6日の午後、アラヤットから東方向にあるマパニケに車で移動しました。現在は水田が広がっていますが、もともとは湿原地帯であり、雨が降ると泥道になります。道は舗装されていません。泥道を四苦八苦しながら、2時間ほどでパンパンガ州カンダバ市マパニケに無事到着しました。
マラヤロラズでも歓迎集会を開いていただきました。
5年前にマラヤロラズが裁判所に提出していた「フィリピン政府に対し日本政府に解決を働きかけるよう求める」請求が、2010年4月28日フィリピン最高裁で棄却されました。判決文の剽窃・盗用が問題になりました。UPの教授やマスコミが告発しました。マラヤロラズの代表も国会に行ってこの許せない判決を書いた判事を追及する取り組み、またマスメディアでも告発しました。
<マパニケ マラヤロラズによる歓迎集会でのダンス>
マパニケには、ここニ、三年、学生を含む多くの日本人やフィリピン人がマパニケを訪れるようになり、ロラの声、告発に耳を傾けています。
歓迎集会にはバランガイ議長や議員、ロラの孫たち、家族も参加していました。マラヤロラズの主張や活動は村中が知っていますし、支持しています。
昨年の経験を経て、マラヤロラズのロラたちは大変明るく自信に満ちていたように見えました。逆にわたしたちがたくさん勇気づけられたように思います。
マニラのリラピリピーナ
3月7日午後、マニラのリラ・ピリピーナを訪ねました。日本のロラ支援団体の呼びかけた寄付でロラズセンターができており、「慰安婦」関係のいろんな資料がありますし、展示もされています。年間1,000人の来訪者があるとのことでした。フィリピン人や日本人の学生、さらには他の多くの人たちが訪れて、歴史の真実をあらためて学んでいます。ロラズセンターができて本当によかったと思いました。
ロラズセンターにマニラ近辺からの被害者たちが集まってくるそうです。この日は3名のロラがいました。昨年12月8日の女性国際戦犯法廷10周年記念シンポジウムに参加されたナルシサ・クラベリアさんがおられ、熱心に「花丸雑巾」をつくっておられました。
「花丸雑巾」とは、端切れを貼り合わせて花瓶敷のような、雑巾のようなものです。昨年来日の際に日本へ持参され、集会などで販売しました。100円だったこともあってよく売れました。フィリピン人らしい原色の大胆な組み合わせも好評でした。
<3月8日、国際婦人デー デモ行進するリラ・ピリピーナのクラベリアさん>
リラピリピーナ・コーディネーターのリッチーさんから、最近の状況、活動について聞きました。残念なことに健康状態のようないロラが多いとのことでした。
3月8日の国際婦人デーのデモに参加すると言われていました。
フィリピンには戦時性暴力被害者団体が、リラ・ピリピーナ、マラヤロラズ、ロラズカンパニェーラの3団体あります。アジア女性基金をきっかけにして別れてしまった経緯があります。
フィリピン・ピースサイクルは、被害者としては同じなので、これまで3団体とも交流してきました。ピースサイクルの日程は限られており時間がなく、十分なきちんとした交流ができませんでしたが、中央ルソン、パンパンガ州とマニラ地域をまわり、3団体とも訪問し、近況報告しあいました。
アラヤットのロラズカンパニェーラ
<ロラズカンパニェーラ アラヤット支部の皆さんと>
3月6日午前中、パンパンガ州アラヤットの町に、ロラズカンパニェーラ・アラヤット支部を訪れました。事前に手配いただいていて、アラヤット町シニアシチズンセンターに多くの被害者が集まっておられました。被害者だけでなく、町のシニアシチズンの代表も参加されていました。
アラヤット町は、アラヤット山のふもとにあります。アラヤット山には、第2次世界大戦中、抗日ゲリラの一つであるフクバラハップの根拠地がありました。パンパンガ平原は島国フィリピンでは珍しく広い平原であり、穀倉地帯です。その平原のどこからもコニーデ(富士山)形状の美しいアラヤット山を見つけることができます。
この町の年配の方のなかには、フクバラハップのメンバーだった方がいますし、この日も参加されておりました。被害者であるカンパニェーラのメンバーのなかにも、メンバーだった人がいます。
ピースサイクルがアラヤットのロラを訪問したことを、たいそう喜んでくださいました。シニアシチズンの代表は、今後日本の支援団体とも連携をとり、シニアシチズンとしてロラの支援をしたいと言われました。
<アラヤットからマパニケに移動途中にみたアラヤット山>
マパニケのマラヤロラズ
3月6日の午後、アラヤットから東方向にあるマパニケに車で移動しました。現在は水田が広がっていますが、もともとは湿原地帯であり、雨が降ると泥道になります。道は舗装されていません。泥道を四苦八苦しながら、2時間ほどでパンパンガ州カンダバ市マパニケに無事到着しました。
マラヤロラズでも歓迎集会を開いていただきました。
5年前にマラヤロラズが裁判所に提出していた「フィリピン政府に対し日本政府に解決を働きかけるよう求める」請求が、2010年4月28日フィリピン最高裁で棄却されました。判決文の剽窃・盗用が問題になりました。UPの教授やマスコミが告発しました。マラヤロラズの代表も国会に行ってこの許せない判決を書いた判事を追及する取り組み、またマスメディアでも告発しました。
<マパニケ マラヤロラズによる歓迎集会でのダンス>
マパニケには、ここニ、三年、学生を含む多くの日本人やフィリピン人がマパニケを訪れるようになり、ロラの声、告発に耳を傾けています。
歓迎集会にはバランガイ議長や議員、ロラの孫たち、家族も参加していました。マラヤロラズの主張や活動は村中が知っていますし、支持しています。
昨年の経験を経て、マラヤロラズのロラたちは大変明るく自信に満ちていたように見えました。逆にわたしたちがたくさん勇気づけられたように思います。
マニラのリラピリピーナ
3月7日午後、マニラのリラ・ピリピーナを訪ねました。日本のロラ支援団体の呼びかけた寄付でロラズセンターができており、「慰安婦」関係のいろんな資料がありますし、展示もされています。年間1,000人の来訪者があるとのことでした。フィリピン人や日本人の学生、さらには他の多くの人たちが訪れて、歴史の真実をあらためて学んでいます。ロラズセンターができて本当によかったと思いました。
ロラズセンターにマニラ近辺からの被害者たちが集まってくるそうです。この日は3名のロラがいました。昨年12月8日の女性国際戦犯法廷10周年記念シンポジウムに参加されたナルシサ・クラベリアさんがおられ、熱心に「花丸雑巾」をつくっておられました。
「花丸雑巾」とは、端切れを貼り合わせて花瓶敷のような、雑巾のようなものです。昨年来日の際に日本へ持参され、集会などで販売しました。100円だったこともあってよく売れました。フィリピン人らしい原色の大胆な組み合わせも好評でした。
<3月8日、国際婦人デー デモ行進するリラ・ピリピーナのクラベリアさん>
リラピリピーナ・コーディネーターのリッチーさんから、最近の状況、活動について聞きました。残念なことに健康状態のようないロラが多いとのことでした。
3月8日の国際婦人デーのデモに参加すると言われていました。
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